後継者による第二創業
第二創業という言葉を聞いたことがありますか。第二創業とは、その言葉が示す通り、すでに創業している事業者が新たに第二の事業を創出することを意味しています。経営の改善や刷新を図るために、今までの事業とは異なる事業を開始したり、新たな分野に進出したりすることとして解釈されています。創業後数年以上経過している経営者が新たな事業を始めることに加え、創業から数十年以上経過した会社の何代目かの後継者が新たな事業を始めることも第二創業です。
本コラムでは、印刷会社の後継者が既存の事業とは異なる事業に取り組んだ事例を参考にしながら、第二創業について考察します。
印刷会社がソフトクリーム屋を始める
台東区蔵前に創業60年以上の菅原印刷株式会社という会社があります。

現代表取締役の菅原寛子さんは三代目です。1961年に祖父の菅原正さんが創業し1976年に父の菅原俊一さんが承継した会社を、2013年に寛子さんが承継しました。印刷への需要が低下していくなか、印刷会社の経営は簡単ではありませんが、先代の社長であり父である俊一さんから、『お客さまへのお役立ちを第一とする』という経営理念を受け継ぎながら、寛子さんは会社を守ってきました。寛子さんが代表取締役に就任してから10年近く経った2022年6月、ソフトクリーム屋Triangleを菅原印刷のビル1階にオープンしました。

ソフトクリームは、看板商品のエスプレッソソフト、定番のミルク、チョコ、ミックスに加えて、季節限定(ミモザ、さくら、マンゴーなど)の味もあります。ソフトクリームにウィスキーやジン(アルコール)を組み合わせたものやオーガニッククラフトコーラ、自家製オーガニックレモネードなどのドリンクもあります。金額は250円から650円です。不定期で、完全手作りのアップルパイも提供しています。アップルパイは完売するほどの人気です。



Triangleでは、材料はできるだけ高品質で味の良いものを使い、手作りしたほうが良い部分は手作りするなど、きめ細かい味へのこだわりで商品作りに取り組んでいます。残念ながら店内で食べられるスペースがないため、冬の寒い時期や夏の猛暑の時期にはどうしてもお客様の数が減ってしまいます。将来的には、イートインスペースを確保し、より多くの人に来店してもらいたいと考えています。
創業60年以上の印刷会社の挑戦
印刷会社がなぜソフトクリーム屋を始めたのか気になりませんか。寛子さんにじっくり話を聞きました。1つだけでなくいろいろなことが複雑に絡み合った結果、ソフトクリーム屋のアイデアが生まれました。
- デジタルでの情報発信が増える時代において印刷物の需要が低下している。印刷物以外の仕事を増やしたい。
- ビル1階の印刷物保管のための倉庫に空いているスペースがある。空きスペースを有効活用したい。
- 蔵前という地域に貢献したい。地元の人たちとつながりたい。
- 中学高校の同級生仲間で元料理教室の先生や栄養士の資格を持っている人、経理経験者がいる。スイーツの店を始めることができそう。
寛子さんは純粋な印刷業とその関連事業だけで会社を存続させることに難しさを感じていて、新たなことに挑戦しなければ生き残ることができないという危機感を持っていました。しかしながら、菅原印刷の経営状態は安定しているため、社内では新規事業開発などによる売上拡大を目指すことよりも、現在の事業を守ることを重視する雰囲気がありました。それでも、寛子さんは経営状態が安定している間に手を打たなければならないと感じ、新たな事業に挑戦することで、会社内に「新しいことに挑戦する」という雰囲気を浸透させようと考えたのです。
ソフトクリーム屋ならば、ビル1階の倉庫の一部の小さなスペースで始められるし、地元の人たちにもソフトクリームを買いに来てもらうことができる。そして、ソフトクリーム屋を始めるために必要な人材(レシピづくり、食品衛生の資格、会計の知識)についても中学高校の同級生仲間がすぐそばにいました。そのようにして、2022年6月、菅原印刷のビル1階でTriangleはオープンしました。
第二創業の本業への貢献
印刷会社がソフトクリーム屋を始めたと聞くと、何の関連も見出せないため、シナジー効果も期待できないと考えがちです。しかしながら、Triangleの事業は本業の印刷物の販路拡大や売上向上に貢献しています。まず、Triangleの存在により、菅原印刷のビルに訪れる人が増えました。その結果、近隣の人たちに菅原印刷の存在を知ってもらうことができ、近隣の事業者からの新規の印刷物の受注が増えました。また、ソフトクリーム屋を始めたことで蔵前商店街にも入会し、商店街の中での交流が増え、商店街に関連した仕事の依頼を受けるようになりました。
Triangleを始めることにより印刷物の受注が増えることは全く期待していませんでしたので、寛子さんにとっては、とても大きな嬉しい驚きでした。そして、当初の思いの通り、ソフトクリーム屋に買いに来てくれる地元の人たちとのつながりも増えています。さらに、社内で「新しいことに挑戦してもいい」という考え方が定着し始めました。
Triangleによる菅原印刷の売上向上は些細な額かもしれません。しかし、Triangleという新しい風を吹かせたことで、地元の人たちとつながることや挑戦することの意義を社員に伝えることができました。先代が大事にしてきた『お客さまへのお役立ちを第一とする』という経営理念に加え、『地元に貢献する』、『挑戦する』という新たな価値観が、これからの菅原印刷の企業風土の一端を担っていくことが期待されます。
ところで、Triangleという店名にはいろいろな思いが込められています。
- トライ(try)= 挑戦する
- アングル(angle) = 視点
- 尖った(エッジの効いた)味
- 三角形という形の持つ安定感やパワー

菅原印刷の本業だけでは、どうしても経営方針が現在の事業を守るという方向に向いてしまいがちです。事業が安定している限り守りに入ってしまうのは仕方がないことです。しかしながら、時代の変化に伴い、市場からのニーズが変化し、それに合わせて提供する商品やサービスを合わせていかなければ、どの会社も衰退の一途を辿ることになります。Triangleの存在により、菅原印刷は、さまざまな視点を持ち、いつも挑戦しながら、お客様のお役に立つ仕事をしたいという会社の方向性を示すことができました。
事業承継における第二創業の果たすべき役割
どの事業承継においても先代から引き継ぐべき部分と、引き継ぐべきではない部分があります。経営者が交代した時に事業内容を完全に変えてしまうことは、顧客を失うことや社員の信頼を失うことにつながりかねませんので、事業承継後すぐに、会社の事業内容や経営手法を大幅に変更するようなことは避けた方が良いでしょう。だからと言って、先代のやり方を踏襲しているだけでは、経営は守りに入ってしまい、会社としての成長を望むことが難しくなります。また、先代がやっていたからという理由だけで、後継者が自分のやりたくないことまでやらなければならないというような状況が続くと、その後継者はいつかつまらない経営者になり、会社もつまらない会社になってしまいます。ある程度は先代のやり方を踏襲しつつ、一方で、後継者なりの新たなやり方を模索することが肝要です。今まで通りに会社を経営するのではなく、自分の強みや個性を生かすことができる新たな取り組みに挑戦することができれば、後継者自身も会社の事業に対して前向きな気持ちを持ち続けることができます。そして、そのことが会社の経営にとっても良い方向に作用すると考えられます。
菅原印刷でも、2013年の事業承継直後、今あるものを守り続けることが最優先されたと思います。事業承継の結果、社員を路頭に迷わせるようなことになってはいけません。特に会社経営の経験が浅い間は大きな挑戦に取り組むことは難しいです。自分が創業した会社なら自分だけの責任で実行できるかもしれませんが、親から引き継いだ会社を自分の代で潰してしまうことは、考えたくもない恐ろしいことです。菅原印刷の場合、寛子さんは10年近く安定して会社を経営してきたことにより、経営者としての自信が付き、徐々に新しいことに挑戦したいという気持ちが芽生えてきました。また、寛子さんは2016年から平日夜や土曜日に大学院に通って2018年に技術経営修士を修了していますが、そこで獲得した知見や出会った仲間たちからの刺激もTriangleの創業に寄与したと考えられます。
どの会社の事業承継においても、まずは引き継いだ会社の事業を守ることが最優先になります。後継者は親(または先代の代表)から引き継いだ事業を最優先にすることで、自分の人生を後回しにせざるを得ないことがあります。そのような生き方を継続していては、いつか、会社経営へのやる気は失われてしまうでしょう。会社経営だけでなく、どのような仕事でも、自分の強みを生かしたり楽しんだりすることができる仕事でなければ、長い年月をかけて継続することは難しいと考えられます。経営者が好きなことに取り組んだり、強みや個性を生かしたりすることは事業継続のために不可欠なことであると考えられます。(ただし、会社の経営が危ぶまれるほど、自分の好きなことにのめり込んではいけません。)そして、経営者は、時代の変化にも対応する柔軟性も身に付けなければなりません。

事業承継における第二創業の果たすべき役割は、上記の図で考えるとわかりやすいでしょう。事業承継直後は、先代から引き継いだ既存事業を継続することに重きを置き、まずは安定経営を目指します。時代の変化を捉えながら、会社の将来的なあるべき姿や長期的な事業計画について考えます。既存事業に加えて新たに取り組みたい事業、もしくは、取り組むべき事業があれば、それを第二創業として計画します。そして、第二創業により会社が新たな価値を創出することができるようになることを目指します。第二創業をきっかけとして、新たな売上の確保ができるかもしれませんし、企業風土が活性化され、社員のやる気向上に結び付くかもしれません。最終的に、会社は後継者による新たな事業の形を成すようになり、時代の変化にも対応しながら次の世代にも生き残ることのできる会社として成長していくことが理想です。

店舗情報
店舗名:Triangle
営業時間:木曜日~土曜日 11時~16時(臨時営業・臨時休業あり)
所在地:東京都台東区蔵前3-15-1
- エスプレッソソフト ミニカップ300円 レギュラー550円
- ミルクソフト ミニカップ250円 レギュラー450円
- ミックスソフト ミニカップ300円 レギュラー550円
- チョコソフト ミニカップ300円 レギュラー550円
- キャラメルソフト ミニカップ300円 レギュラー550円 など
早咲き桜とミモザで有名な蔵前神社のすぐそばです。


岡本 麻代 <アドバイザー>
ネリサポの総合相談コーナーで週1回程度相談員をしております。
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